ジャランスリワヤの98651を買う。

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今年の武蔵美の卒展で田中承というひとの作品だったと思うが、網戸のように細かいマス目がはいった、凹凸のある真っ白なキャンバス?の上を懐中電灯の光がすーっと動いて行く、というだけの映像作品があり、それが見ていてまったく飽きない。しかもどうして飽きないのかわからない。見ようと思えば30分とかは余裕で見ていられた。そのとき、芸術はまさにそういうものだと思ったのだった。

もしかしたらこういう芸術観が自分のなかに根強いのは、小説によって培われたものなのかもしれない。

演劇ってそういうのはあんまりない、といつも思う。たぶん、稽古するからだろう。

風邪がほとんど完全になおったのでバイトに行き、ロビンと、それから初めて知り合ったボランティアの大学生と少しだけ飲む。

洗濯物を干して風呂に入ってライプニッツを読んで寝る。あるいは保坂和志の未明の闘争を読もう。本を読む時間とゆっくり考える時間をちゃんと確保したい。やっぱ早起きかな。

3日前の朝起きたら喉がイガイガしていたけれど、そのまま喫茶店のバイトに行って特に何も対処しなかった、一昨日はそれに加えて寒気が増して昨日はとうとう熱が出たが今日はもう治った。
僕が恐れたのは15日の稽古に行けなくなることと、17日に武本拓也というひとのパフォーマンスを見に行けなくなることだった。バイトは休めば金がもらえなくなって生活に困るしバイト先のひとから白い目で見られるようになるがそれは大したことではない。そもそもすでに生活には困っているしバイト先では白い目で見られている。

 

 

三月に、京都でダムタイプが新作のワークインプログレスを発表するらしい。
行くかどうかは迷っているというか、今自分はむしろ家でものを考える時間が必要なんじゃないかという気がしている。

 

マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタビュー』を図書館で借りて読んだ。


デュシャンはインタビューのなかで、アーティストが社会的なポジションを確立し、アートで生計を立てることが可能になった一方で、せき立てられるように作品を制作しなければならなくなったと、アートの現状について語っている。

 

「わたしの意見では、こんなに生産が活発になっては、凡庸な結果しかでてこない。あんまり繊細な作品を仕上げる時間的余裕がない。生産のペースが猛烈に速くなってしまったんで、また別の競争になるわけだ。」(p48)

「(アーティストの社会統合について聞かれて)たいへん快適なところはありますよ、生計を立てられるという可能性がある。ただ、そういう状態は、つくられる作品の質からしたら有害だ。大きな重要性を持ったものというのは、ゆっくり産み出されていくものだという感じがしています。スピードってのは、アート生産の場合、いいものだとは思わない。」(p50)

 

レディメイドは、その気になれば膨大な数を制作できただろう。そしてそれを売れば、まとまった金を得られることはデュシャン自身わかっていたはずだ。しかし彼はそうしなかった。

 

「もしレディメイドを体系立ててやっていたら、十年で十万個レディメイドをつくるなんてのはわけもないことだったはずです。そういうのはまがい物(フェイク)だったでしょうな。サッサッと安易に選んでいたはずだからね。で一年も経てば後悔するんだ。つくり手として堕落していたことでしょう(笑)
そんなだから、わたしがやったことに何かしら興味を持って、それを方式体系として使ったりする人がいると、わたしはちょっと疑わしい気分になるんです。少なくとも、それが危ういことだと意識してはいる。体系立てたものはなんであれ、あっという間に不毛になってしまう。 」(p111)

 

インタビュアーであるカルヴィン・トムキンズによれば、デュシャンは64歳で結婚するまで、ながいあいだ一文無しの状態で生活していた。
芸術家を急かすためのマネーゲームから脱けだし、速度を信仰する世紀のただなかにあって、自分のペースを崩さずに制作し、生活すること。そうして生きていくことの不安を僕らは想像することしかできないが、しかし他人事として済ませるのではなく、自分が生きていく糧にすることはできる。

 加速していく世界のスピードから身を守ること。自分の生活において大切なものを、やすやすと社会の側に預けないこと。